年末に思うこと
2013年12月27日
早いもので今年もあと残り4日となりました。
本当に1年があっという間です。
年々、歳をとるたびに早くなっているような気が…(涙)。
以前、TVで言っていたのですが、
「日々が過ぎるのが早く感じるのは脳を使っていない証拠で、
新しい経験をしていないから」とのこと。
まさにその通り!
子どもの頃の1年、小学校6年間なんてスゴク長かったなぁ…。
来年こそは、少しでも1年が長く感じられるように、
何か新しいことにチャレンジし脳を活性化せねば!!
何を始めようか?明日からのお正月休みに色々計画を
立てようと思っています。
( N )
本当に1年があっという間です。
年々、歳をとるたびに早くなっているような気が…(涙)。
以前、TVで言っていたのですが、
「日々が過ぎるのが早く感じるのは脳を使っていない証拠で、
新しい経験をしていないから」とのこと。
まさにその通り!
子どもの頃の1年、小学校6年間なんてスゴク長かったなぁ…。
来年こそは、少しでも1年が長く感じられるように、
何か新しいことにチャレンジし脳を活性化せねば!!
何を始めようか?明日からのお正月休みに色々計画を
立てようと思っています。
( N )
Posted by すず風 at
19:04
歴史研究会を立ち上げました☆
2013年12月25日
佐賀県弁護士会で歴史研究会を立ち上げました☆
一応、暫定的に私が部長を務めさせていただいております。
ただ、実力主義の弁護士の集まりですから、
下剋上は世の常です。
年に1度、歴史検定という検定試験がありますので、
その結果によって最も上位の資格を取得した者が
部長となるという密約が交わされています。
今年度は、試験日と私の出張の日程が重なってしまい、
他の部員も受験を見送ったということもあって、
とりあえず次年度までは暫定部長の座は安泰となりました。
さて、どんな活動をしているのか、というと…
第1回は今年の4月に佐賀をまわりました。
コースは
①佐野常民記念館・三重津海軍所址
②松原神社
③肥前名護屋城址
というものでした。
②松原神社は私のセレクトだったのですが、
部員からは苦情が殺到しました。
一人で暇な時に行け、ということでしょうか…。
第2回は7月に福岡に行きました。
コースは以下のとおりです。
①柳川の旧立花藩主別邸の御花
②太宰府天満宮
③大宰府政庁址
④水城、岩屋城址、大野城址
④はとてもよかったです。福岡出身の私にとって、
水城や大野城というのは昔から地名として馴染みがあります。
これらがお城だったということを知ったのは、
恥ずかしながら大人になってからでした。
例えば水城は、白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に大敗した
中大兄皇子(後の天智天皇)が、唐・新羅が攻めて来ることを恐れて
築いた堤防です。
そんな思いを馳せながら水城に行くと、
当時の緊迫した状況が目に浮かびます。

↑岩屋城址。島津軍に攻められ、高橋紹運ほか700数十人
の城兵全員が討ち死にした。
ちなみに高橋紹運は、柳川藩主・立花宗茂の実父だ。
碑には「ああ壮烈岩屋城址」と書かれている。
第3回は9月に島原・天草に行きました。
コースは以下のとおりです。
①沖田畷古戦場跡
②島原城
③原城、日野江城、史跡セミナリヨ
④富岡城
⑤大江天主堂、崎津天主堂
なんだかクリスチャン巡礼の旅のようですね。

↑島原城。破風がない。
実践だけを重視したのか。
悪政極まる松倉重政による築城は有名。
島原の乱の要因の1つとなった。

↑湯島(通称、談合島)。
島原の乱の前に天草四郎らが集まり協議したという。

↑アルメイダ記念館で天草四郎から
洗礼を受ける部員の福岡弁護士。

↑原城址。婦人子どもを含めて3万7000人が籠り、
そのほとんどが殺された。
一応、暫定的に私が部長を務めさせていただいております。
ただ、実力主義の弁護士の集まりですから、
下剋上は世の常です。
年に1度、歴史検定という検定試験がありますので、
その結果によって最も上位の資格を取得した者が
部長となるという密約が交わされています。
今年度は、試験日と私の出張の日程が重なってしまい、
他の部員も受験を見送ったということもあって、
とりあえず次年度までは暫定部長の座は安泰となりました。
さて、どんな活動をしているのか、というと…
第1回は今年の4月に佐賀をまわりました。
コースは
①佐野常民記念館・三重津海軍所址
②松原神社
③肥前名護屋城址
というものでした。
②松原神社は私のセレクトだったのですが、
部員からは苦情が殺到しました。
一人で暇な時に行け、ということでしょうか…。
第2回は7月に福岡に行きました。
コースは以下のとおりです。
①柳川の旧立花藩主別邸の御花
②太宰府天満宮
③大宰府政庁址
④水城、岩屋城址、大野城址
④はとてもよかったです。福岡出身の私にとって、
水城や大野城というのは昔から地名として馴染みがあります。
これらがお城だったということを知ったのは、
恥ずかしながら大人になってからでした。
例えば水城は、白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に大敗した
中大兄皇子(後の天智天皇)が、唐・新羅が攻めて来ることを恐れて
築いた堤防です。
そんな思いを馳せながら水城に行くと、
当時の緊迫した状況が目に浮かびます。
↑岩屋城址。島津軍に攻められ、高橋紹運ほか700数十人
の城兵全員が討ち死にした。
ちなみに高橋紹運は、柳川藩主・立花宗茂の実父だ。
碑には「ああ壮烈岩屋城址」と書かれている。
第3回は9月に島原・天草に行きました。
コースは以下のとおりです。
①沖田畷古戦場跡
②島原城
③原城、日野江城、史跡セミナリヨ
④富岡城
⑤大江天主堂、崎津天主堂
なんだかクリスチャン巡礼の旅のようですね。
↑島原城。破風がない。
実践だけを重視したのか。
悪政極まる松倉重政による築城は有名。
島原の乱の要因の1つとなった。
↑湯島(通称、談合島)。
島原の乱の前に天草四郎らが集まり協議したという。
↑アルメイダ記念館で天草四郎から
洗礼を受ける部員の福岡弁護士。
↑原城址。婦人子どもを含めて3万7000人が籠り、
そのほとんどが殺された。
Posted by すず風 at
17:43